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マドンナにセックスを連想させた色男 サモラーノ氏が振り返るインテル時代のエトセトラ

マドンナに「抱かれてみたい」と言わしめた元チリ代表FWイバン・サモラーノ氏の現役時代回顧
▲ マドンナ(右)は1998年のワールドカップ・フランス大会で4ゴールを決めた当時チリ代表FWイバン・サモラーノ(左)を観て「抱かれてみたい男」と発言した
現在はU.S.A.でサッカー解説者として活躍中の元チリ代表FWイバン・サモラーノ氏が、現役時代を回顧して様々なエピソードを披露。マドンナのコメントやインテル時代のエピソードなどを明かした。

サモラーノ氏は1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会で4ゴールをマークするなど、初めてのワールドカップで結果を残した。当時のチリ代表はサモラーノ氏とマルセーロ・サラス氏による2トップで、グループリーグでは勝利を収められなかったが、ベスト16に進出した。この頃にワールドカップを観戦していたマドンナが口にした言葉は、世間を賑わわせた。

「私はサモラーノを観ていると、瞬時にセックスを連想しちゃうの」

マドンナをも虜にする色男としても一躍有名になったサモラーノ氏は、当時彼女から言われた言葉について、「私のプレイスタイルやゴールへの姿勢などを好きだと言ってくれたのかも」と説明。だが、このエピソードについて記者が掘り下げようとすると、「適切な時期ではないため、これ以上は話せない」として話題の変更を求めた。ただし、サモラーノ氏はFCザンクト・ガレン(スイス)で活躍していた1989年に、チューリッヒのグラスホッパースタジアムで開催されたマドンナのライブを鑑賞しに行ったことを明かしている。

サモラーノ氏が最も活躍したのはレアル・マドリー(スペイン)にいた頃だったが、同氏が話題にしたのはインテル(イタリア)時代。

「最も仲良かったのはハビエル・サネッティだった。他にもロベルト・アジャラ、アンドレス・グリエルミンピエトロらアルゼンチン人とは試合でも息が合ったし、試合後にはいっしょにバーベキューをしたね」

「当時のインテルには、南米の魂があった。ゼ・エリーアス、シメオネ、イバン・コルドバ、ホナウドがいた。我々はブラジル人の歓喜とアルゼンチンの情熱とを兼ね備えた強いチームだった」

▲ イバン・サモラーノ(左)とホナウド(右)。1997〜2001年にインテルでチームメイトだった
「ホナウドは当時、大人の身体をした子どもだった。それは悪い意味ではなく、彼の純真なプレイスタイルとゴールは我々にとって喜びだった。試合ではフェノーメノ(怪物)だったが、トレーニングでは無邪気な少年ぽさがあったね。彼はサッカー史において最高のセンターフォワードだと今でも思っている」

「ホナウドが膝を負傷したとき、私は彼の元に駆け寄った中の一人で、膝の腱がほぼ断裂していたのを確認した。激痛に顔を歪める彼の表情を見ていて、筋肉の鎧をまとったような強い肉体の持ち主であっても、こんなにもろく壊れてしまうのかと感じた。そして彼の復帰は難しいと思ったし、選手生命は絶たれたとさえ思ったんだ。だが、彼は二人のセラピストをブラジルから呼び寄せて治療に全力を尽くした。そして彼は見事に復活したんだ」

最後にサモラーノ氏は、途中から番号を「1+8」にした理由を説明した。

「私はインテルに移籍して9番を着けていて、ホナウドは10番だった。だが1998年のワールドカップ語にロベルト・バッジョが加入すると、監督からは9番をホナウドに譲るよう提案された。9番への強いこだわりがあったから、感情的にもなって一度は断ったが、認められなかった。そこで18番に変更した際にインテルの会長とFIGC(イタリアサッカー連盟)に許可をもらった上で、1と8の間に“+”をテープで貼ることにしたんだ。最初は試合前に“+”を自分で貼っていたのだが、4〜5試合目あたりには“+”が事前にプリントされたオリジナルユニフォームが準備されていた。“1+8”のレプリカユニフォームは、インテルの歴史上で多く売れたひとつだった」

ちなみに、サモラーノ氏が番号を“1+8”に変える契機となった元イタリア代表FWロベルト・バッジョ氏は、1994年のワールドカップ・アメリカ大会で獅子奮迅の活躍をみせて、当時大会を観戦したマドンナから「世界で一番セクシーな男」と呼ばれたエピソードは有名。1998〜2000年のインテルには、マドンナのハートを射止めた二人の男が在籍していた。

◆ イバン・サモラーノ

本名:
イバン・ルイス・サモラーノ・サモーラ
生年月日:
1979年1月18日生まれ(53歳)
出身:
チリ(首都サンティアゴ)
身長:
179cm
ポジション:
センターフォワード

1983年にコブレサルでデビューすると、1985年には期限付き移籍でコブレアンディーノ(スイス)に加入して27ゴールを挙げた。翌シーズンにはコブレサルに戻ってコパ・チレ(チリのカップ戦)優勝に貢献すると、1988年にはFCザンクト・ガレン(スイス)に完全移籍して活躍。1990年にはセビージャ(スペイン)に移ってここでも活躍すると、1992年には移籍金500万ドル(日本円で約5億5千万円)でレアル・マドリー(スペイン)に加入。レアル・マドリーでは4年間の在籍で77ゴールを叩き出して、絶対的な攻撃の支柱となった。1996年に加入したインテル(イタリア)では、ホナウドやロベルト・バッジョらと豪華メンバーを形成したが、タイトルは1998年のUEFAカップのみに終わった。2001年にはクルブ・アメリカ(メキシコ)に渡り、1シーズンで33ゴールをマーク。2003年に母国の名門コロコロで現役を引退した。元チリ代表。

2020.04.10

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