- Football Newsその他のニュース
カレカがナポリ時代に交わしたマラドーナとの約束 当時の攻撃陣をMSNと比較して物議も
元ブラジル代表FWカレカ氏がナポリ時代を振り返ってマラドーナ氏、ジョルダーノ氏と形成したトリオの強さを強調
▲ 1986年のナポリ時代の一枚。左から、ブラジル代表MFアレモン(当時)、アルゼンチン代表FWディエゴ・マラドーナ(当時)、ブラジル代表FWカレカ(当時)
自宅で隔離生活中のカレカ氏は、イタリアのテレビ局「Sky Sport」のインタビューに応じて、ナポリ時代のエピソードを話したほか、物議を醸す比較まで言葉にした。
「マラドーナとの関係は、もはやピッチを超えたものだった。マラドーナとの約束で、私はイタリアではナポリ以外のチームへ移籍しないと誓ったんだ。たとえミランからオファーがあったとしてもね」
事実、イタリアへ渡ったカレカ氏はナポリにのみ所属しただけで、退団後は日本に渡り、それ以降イタリアには戻らなかった。マラドーナ氏との約束を破らなかったのだ。
するとカレカ氏は、当時のナポリの攻撃陣トリオを、かつてバルセロナ(スペイン)で形成されていたMSN(メッシ、スアーレス、ネイマール)と比較して、カレカ氏がナポリで形成していたMa-Gi-Ca(マラドーナ、ジョルダーノ、カレカ)のほうがより優れていたとする主張を展開。これが物議を醸している。
「ナポリの Ma-Gi-Ca には、ディエゴ(マラドーナ)がいた。彼の存在が大きなアドバンテージだ。当時の彼はフェノーメノ(ポルトガル語で「怪物」「超常現象」)であり、我々のトリオは非常に強かった。それはバルセロナで形成されたMSNと比較しても、Ma-Gi-Ca は優れていたと捉えている」
現在、感染していなくとも隔離生活を送っているカレカ氏は、サッカーができない代わりに室内でカンフーをして過ごしているという。
◆ カレカ
- 本名:
- アントニオ・ジ・オリベイラ・フィーリョ
- 生年月日:
- 1960年10月5日生まれ(59歳)
- 出身:
- ブラジル(サンパウロ州アララクアーラ)
- 身長:
- 182cm
- ポジション:
- センターフォワード
1976年にグアラニーの下部組織に入ると、1978年にトップチームに昇格して活躍。1983年にはサンパウロで115ゴールを叩き出す成績を残すと、1987年から1993年まで在籍したナポリ(イタリア)では(当時)イタリア代表FWブルーノ・ジョルダーノ、(当時)アルゼンチン代表FWディエゴ・マラドーナとのトリオでゴールを量産し、セリエAとコッパ・イタリアの二冠に貢献した。Jリーグ初年度の1993年秋に柏レイソルへ移籍すると、1994年にはJFL優勝とJリーグ昇格に貢献した。1995年と1996年にはJリーグオールスターサッカーに選出された。1997年に母国のサントスへ移籍したが、帰国後は怪我の影響もあってかつての輝きは鳴りを潜め、1999年にリオ・グランジ・ド・スウ州のサン・ジョゼ・ガウーショで現役を引退した。元ブラジル代表。
2020.04.07
当サイトに掲載された文章の著作権は、すべて Goleador に帰属しています。無断での複製・転載・引用など二次利用は固く禁じています。
- 今年スペインに渡る予定の17歳エンドリッキが語った夢 「すべての子どもたちのアイドルになりたい」カンピオナート・パウリスタ 2024
- アルゼンチン人MFアニーバル・モレーノのゴールなどで勝ったパウメイラスが州選手権3連覇カンピオナート・パウリスタ 2024
- ベネズエラ代表MFロムロ・オテーロのゴールでサントスが先勝 スタンドで観戦したネイマールも歓喜カンピオナート・パウリスタ 2024
- 17歳の神童エンドリッキのゴールでパウメイラスが決勝進出 しかしエンドリッキはその後負傷退場に…カンピオナート・パウリスタ 2024
- 元V・ファーレン長崎のファービオ・カリーリ監督率いるサントスが競り勝って決勝進出カンピオナート・パウリスタ 2024