
- Selección Nacional de Perúペルー代表

ボカからの接触にも動じなかったガレカ監督 締結中の契約を重視する理由は“信頼関係”と持論
ペルー代表のリカルド・ガレカ監督が明かしたボカ・ジュニオルスからのオファー

▲ 2015年3月からペルー代表を指揮しているリカルド・ガレカ監督(写真提供:AP)
2015年3月からペルー代表監督に就任したガレカ氏には、これまでの約6年半の間にボカから接触があったと認めた。
「グスターボ・アルファーロ氏がボカの監督を辞任したとき(2019年12月頃)だね、ボカからアプローチがあったのは。だがそのときペルー代表と契約中の私は『今ある契約を尊重する』と回答し、それで私とボカとの対話は自動的に遮断されることになった」
ガレカ氏は、ボカからのオファーに限らず、締結中の契約を優先する立場だと説明。
「私は普段から、どの立場でも契約を尊重することにしている。いわゆる『電車は一度だけ通過する(チャンスはそのときにしか来ない)』という格言には賛同しないし、そうした姿勢は日和見主義になってしまう恐れもある。仕事で大切なのは信頼関係だ。信頼を失ってまで、損得勘定で決めるのは良くないというのが私の考えだ。そのときがタイミングでなかったのなら『またチャンスがあるかもしれない』と自分自身を信じることと、日頃の楽観思考なところも影響してるかもしれないがね。仕事をしていれば、良いときも悪いときも訪れる。そのときは(ボカのオファーを受け入れる)タイミングじゃなかったということだ」
ガレカ監督には、確固たる信念がある。そんな姿勢が、ペルー代表でも結果を出せている所以なのか。
◆ リカルド・ガレカ
- 本名:
- リカルド・アルベルト・ガレカ・ナルディ
- 生年月日:
- 1958年2月10日生まれ()
- 出身:
- アルゼンチン(ブエノスアイレス州タピアレス)
- 身長:
- 186cm
- ポジション:
- フォワード (現役時代)
アルゼンチンの名門ボカ・ジュニオルスで1978年にデビューして、1981年にはサルミエントでも活躍したが、1981年からはボカに戻ってディエゴ・マラドーナ氏らとともに活躍した。1985年にはボカの宿敵であるリーベル・プレートに移籍したが、すぐにコロンビアの名門アメリカ・デ・カリに移籍して長く活躍。1989年に31歳でベレス・サルスフィエールへ移籍し、1994年にインデペンディエンテで現役を引退した。監督としては1995年からスタートさせて、アルゼンチンのクラブチームを渡り歩き、2005年からは国外のチームも指揮。2009年からは選手時代の古巣ベレスを指揮し、2014年には少しだけパウメイラス(ブラジル)の監督も務めた。2015年からはペルー代表の監督を務めると、コパ・アメリカでは2015年3位、2016年5位、2019年決勝進出だけでなく、2018年にはペルー代表を36年ぶりのワールドカップ出場に導くなど手腕をいかんなく発揮。ペルー国民から熱烈な支持を受けているが、2022年のワールドカップ予選では大陸間プレイオフで敗れ、ペルー代表の監督を辞任した。
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2021.12.04
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