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26歳になったマンコ 同世代のハメス・ロドリゲスと比較されてきた9年間のキャリアを振り返る
8月23日に26歳の誕生日を迎えた元ペルー代表MFレイモン・マンコが歩んだU-17ワールドカップ以降の足跡

▲ 17歳の若さでU-17ワールドカップなどで活躍した頃のレイモン・マンコ(2007年)
1990年にペルーの首都リマで生まれたレイモン・マンコは、父親の仕事の都合により2歳から8歳までの6年間と、13歳から15歳までの約2年間の計8年間をベネズエラで過ごした。その結果、二重国籍(ペルーとベネズエラ)のマンコには、U-15ベネズエラ代表として活躍した過去もある。学生時代のマンコは、当時住んでいたベネズエラでも高い評価を得ていた。
そんなマンコがU-17ペルー代表に招集されたのは2007年。当時U-17ペルー代表を指揮していたファン・ホセ・オレー監督に、その才能を高く評価されての代表入りだった。これを境に、マンコはペルー人選手としての道を歩み始めることとなる。

▲ オランダのPSVアイントホーフェンでプレイしていた当時のレイモン・マンコ(2008年)
その後、マンコは故郷の名門アリアンサ・リマでも活躍して2008年にはオランダの名門PSVアイントホーフェンに移籍。そして翌年には18歳の若さでモデルのフィオレーラ・ベントさんと一度目の結婚をするなど、公私ともに順風満帆とみられていた。ところがその後のマンコは酒気帯びでチームの朝練に参加するなど奇行が目立つようになり、所属チームから契約解除を言い渡されるなどのトラブルが見受けられるように。すると、順調だったマンコのキャリアにも停滞ムードが漂い始めた。
そんなマンコを尻目に、地道な努力を続けていたハメス・ロドリゲスは2008年からの2年間アルゼンチンの名門バンフィエールでスキルを磨くと、2010年に入団したポルトガルの名門FCポルトで才能を開花。翌2011年からはコロンビア代表にも名を連ねるようになった。

▲ ブラジルW杯ではコロンビア代表の躍進に貢献するとともに自身は大会の得点王に輝いたハメス・ロドリゲス(2014年)
ペルー国内で報じられている記事によれば、マンコが築いたキャリアのピークはU-17ワールドカップでの活躍からPSVに移籍した頃までとの見解がもっぱら。近年は2人目の元妻から婚姻関係中の不倫を暴露されたり、マンコ自身の肥満を心配する声も挙がるなどピッチ外での話題が先行している。
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世界の脚光を浴びたU-17ワールドカップから9年の月日が流れた2016年、マンコはアリアンサ・リマで本来の輝きを取り戻しつつある。「まずはクラブで結果を出すこと。そしてガレカ(ペルー代表監督)に呼んでもらって、もう一度代表のユニフォームに袖を通したい」と述べているマンコの志は高い。
2016.09.02
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